HOME / インフォメーション / 総合 / 諏訪マタニティークリニック開院35周年
諏訪リプロダクションセンター開設15周年を迎えて
   d  d  d

General Information

various

諏訪マタニティークリニック開院35周年
諏訪リプロダクションセンター開設15周年を迎えて

2011.08.01

11床でスタートした諏訪マタニティークリニックは、1997年には33床の産科・婦人科・小児科病院となり、また同年に不妊治療施設として開設した諏訪リプロダクションセンターも今年で開設15周年を迎えました。

この間、諏訪マタニティークリニックで出産をされた方は、15,746人にのぼり、出産された方が今度は乳癌・子宮癌検診等で当院に再来されるといった長いおつきあいの方も増え、また当院で産声をあげたお子さんが結婚され、今度は御自身のお子さんの出産に訪れてくださり、二代に渡っていのちのつながっていく現場に立ち会わせて頂くようなことも多くなりました。

更に、リプロダクションセンターを中心としての不妊治療部門においては、遠方より来院してくださる方も増え、諏訪地域だけでなく、より広い地域において必要とされる産婦人科施設としての役割も担いながら、当施設はみなさんと共に今日の日を迎えることが出来ました。

開設当初より"患者さんと共にある施設"を合い言葉として、スタッフ一同がんばって参りましたが、さらにみなさんのお役に立てる笑顔あふれる施設でありたいと願い、 "いのちの泉" "子づくり・子育てプラザ"としてこれからもがんばって参ります。

今後ともどうぞよろしくお願い致します。

2011年8月1日
諏訪マタニティークリニック一同


以下、根津院長よりごあいさつです

※7月23日(土)、当院の初代の平島橘月婦長と、縁の下の力持ち的お仕事を長きに亘り担当して下さった、埴原千代子さんのお二人をお招きして、100余名の病院スタッフとともに、ささやかに記念式典を行いました。その際の根津院長(兼理事長)の挨拶に後日加筆したものです。

諏訪マタニティークリニック創立35周年

諏訪リプロダクションセンター創立15周年記念に当たり


思えば35年前(1976年)の7月31日、諏訪平のお祭り、お舟祭りの宵宮を祝う花火が、病院の近くにある桜の名所・水月園から打ち上がる中、諏訪マタニティークリニックの開院式が行われました。
開設当初は私も含め6人のスタッフにてスタート。開院式の様子を知っている人はこの中の当時の平島婦長さんと家内と私の3人、ということになるのでしょうか。(現在私の隣の診察室にて診療している、長女のかほり医師は当時4歳でしたが記憶に残っているとのこと)看護婦は婦長以外1人のパートのみ。その中で、平島さんが日勤・夜勤・日勤という、今では考えられない勤務をなさってくれていました。
開院してから2ヶ月程してから当院第一号の出産があり、初めて生まれた子どもに何かあってはならないと、その夜はその子の側で私は夜を明かしました。あれから、今日の日までに15,746人の方が出産されました。その内の7月21日の15,735人目の方は、帝王切開で出産されたNさんでした。Nさんは当病院のリプロダクションセンターにて妊娠、その後前置胎盤と診断、長期の安静入院を経て、また癒着胎盤という診断も加わり、自己血のストック、その他保存血の用意、万全の体制の下、予定帝王切開となられました。他院での筋腫核出術の既往のためか開腹と同時に子宮を切開する部位は子宮破裂寸前の状態(子宮の壁が子宮を取り巻く漿膜と、胎児を包む卵膜のみで、中の胎児が透けて見える状態下にあった。これは正に想定外の状態)にありました。先ず、切開し胎児を取り出し、胎盤と子宮の状態をチェック、胎盤を剥離することは不可能と判断。子宮下方からの出血も続くため、術前に子宮摘出術の可能性も説明していたため、子宮摘を決断、子宮を腹腔外に出してから摘出術を施行、トータルで3,000ml弱での出血で手術を終了。副院長と産婦人科医である二人の娘と、もう一人の産婦人科も加わって、総勢5人の医師の下、無事完了することが出来ました。術後、摘出した子宮を診察しながら、決断が少しでも遅れたら、非常に重篤な状態であったことを知ったのです。この手術は、まさに私が常に求めて来た、産婦人科の救急対応が完璧に遂行することの出来た瞬間であったのです。
今から43年前(1968年)の5月5日に、沖縄におけるインターン時代に遭遇した前置胎盤によるショック患者を救命する一助になれたことが切っ掛けとなり、産婦人科医の道を歩み出した私が、それから43年後のこの式典にあたり相応しいと言ってしまえばNさんには申し訳ありませんが、この手術は産婦人科医として生きて来た集大成をさせて頂くことの出来たケースでした。福島県の大野病院にて母体死亡に至ったケースと全く同じような患者さんでしたが、現在の当院の医療体制のお陰で大事に至らずにすみました。当院が妊娠から出産まで、そしてこれからの育児へ向けて患者さんの期待に添える施設であることを実感し、これからもそうであり続ける努力を怠ってはならない、と改めて心に誓った一時でもありました。
11床でスタートしたクリニックが、33床の産科・婦人科・小児科病院となり、吉川文彦先生を所長とする諏訪リプロダクションセンターの併設、清水強先生を中心とする清水宇宙生理学研究所の併設、そして今年に入って週に二日ですが今まで欠員であった小児科外来に山本めぐみ先生をお迎えすることが出来ました。
その他、託児施設"いずみ"、病児・病後児保育施設"すーの"、染色体異常をもつお子さんの親御さんのサポートルーム"るちあ"の施設、その他、長幅事務長を中心として諏訪マタニティークリニックに伴う様々な施設に語り尽くせぬ程の多くの成果を積み重ねつつ、今日を迎えることが出来ました。
その外、母乳哺育部門においては1981年に二代目の婦長、藤森和子助産婦とともに藤森式を開発、1984年にはSMC方式へと進化し全国に展開、1988年にはSMC方式研修センターを開設、その研修修了生であった江井さんが東日本大震災、原発事故の影響を受け、避難し、現在は当院にて活躍しておられるという予想外の繋がりも出来ました。
そのSMC方式は今や乳房管理学という新しい分野を形成、現在韓国等海外でも活用されています。今後、その医学書の改訂と同時に、海外版も作成し、日本発の考え方を世界に向けさらに発信して行きたいと考えています。
又、生殖医療分野においては、その分野において放置されてしまっていた患者さんの力になりたいと、1986年の減胎手術、1998年の非配偶者間体外受精、2001年の代理出産、その外、着床前診断、死後生殖等の適応患者さんへの医療対応、そして様々な問題提起をして参りました。その間、大変な思いをスタッフにもさせ、多くの患者さん方にもご心配をおかけしましたが、私を信じて共に歩んで来てくださったことに対し、御礼申し上げる次第です。
この35年間の出来事は、筆舌に尽くし難いものがありますが、「目の前の患者のために」を合い言葉として、今日まで病院が発展しながら頑張って来られたのも、当院を信用して来てくださる患者さんがあったからこそ、そして副院長の吉川文彦先生、研究所の清水強先生、濵総師長を中心とする多くのスタッフの総合力のお陰と、全てにおいて感謝に尽きることはありません。

これからも、さらにみなさんのお役に立ち、愛される医療施設として、共に成長しつづけてゆきたいと思います。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

2011年8月1日

産科・婦人科・小児科病院
医療法人登誠会 諏訪マタニティークリニック院長・兼理事長
根津八紘